平原康多*特別競輪優勝全レース(G1.G2)*総集編*ダイジェスト*アーカイブ*keirin

平原康多*特別競輪優勝全レース(G1.G2)*総集編*ダイジェスト*アーカイブ*keirin

平原康多*特別競輪優勝全レース(G1.G2)*総集編*ダイジェスト*アーカイブ*keirin

平原康多選手が特別競輪で優勝した全レース(G1.G2)のダイジェスト
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平原康多 競輪 2021年上半期 1着集 ダイジェスト

平原康多 特別競輪(G1.G2)での1着だけを集めたダイジェスト 2019年~2021年*NO,4

平原康多*特別競輪(G1.G2)での1着だけを集めたダイジェスト 2017年~2018年*NO,3

平原康多 特別競輪(G1.G2)での1着だけを集めたダイジェスト 2014年~2016年*NO,2

平原康多 特別競輪(G1.G2)での1着だけを集めたダイジェスト 2009年~2013年*NO,1

平原 康多(ひらはら こうた、1982年6月11日 – )は競輪選手。埼玉県狭山市出身。日本競輪学校第87期卒業。日本競輪選手会埼玉支部所属。師匠は太田耕二(太田真一の兄)。ホームバンクは西武園競輪場。平原啓多(97期)は弟。

主なタイトル
2009年 – 高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場)、朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)
2010年 – 高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場)
2013年 – 読売新聞社杯全日本選抜競輪(松山競輪場)
2014年 – 朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)
2016年 – 朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)
2017年 – 読売新聞社杯全日本選抜競輪(取手競輪場)

元競輪選手だった父・平原康広(28期)の影響から埼玉県立川越工業高等学校在学中より自転車競技を行い、ジュニア世界自転車競技大会等、国際大会の出場経験を持つ。やがて第87期生として入学した日本競輪学校では全生徒中、最終バック先頭回数が最も多かったことから、恵まれた体格も相まって同期の中で最も将来性がある生徒と目す関係者が少なくなかった。

デビュー戦は2002年8月5日の西武園競輪場で迎え、初勝利も同日。2年後の2004年1月よりS級へ昇進し、同年のヤンググランプリにも出場(7着)。翌2005年のヤンググランプリでは、2センターから捲り追い込みをかけ、優勝した山崎芳仁を鋭く追い詰め2着。そして翌2006年あたりからGI、GIIの常連選手となっていく。

2006年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)では、本命を背負った武田豊樹を尻目にホームから果敢に先行し、さらに武田を捲り不発に追い込んで堂々逃げ切り優勝。また同年の全日本選抜競輪決勝では3着に入り、初のGI表彰台を経験した。

2007年は日本選手権競輪で決勝進出を果たしたが、主導権争いを演じていた村上義弘を最終ホーム通過付近で押し上げたことが原因で村上らを落車させたとして失格を取られる。その影響があってか、その後の競走では精彩を欠く場面も見られたが、同年の全日本選抜競輪決勝では、直線に入って優勝の山崎芳仁に対して4分の3輪差まで迫り2着に入った。

KEIRINグランプリ07への出場は逃したが、翌2008年に創設されたS級S班の初代18名に選出された。同年は安定した成績を挙げ、獲得賞金によりKEIRINグランプリ08でKEIRINグランプリ初出場を果たし、井上昌己の2着に入賞する。

2009年は6月の高松宮記念杯決勝で武田豊樹の番手を回ることになり、武田の後ろから最終2センターより自ら先頭に出て山崎芳仁の猛追を振り切りGI初優勝を飾る。その後7月の寬仁親王牌決勝と9月のオールスター決勝では、共に平原 – 武田 – 神山雄一郎の並びで挑み、神山の連続2着と武田のオールスター優勝に貢献している。そして11月の競輪祭決勝では3番手の位置を確保した後に差し切って勝ち自力でGI2勝目を奪取した。2年連続出場となったKEIRINグランプリ09では9着に終わる。

2010年の高松宮記念杯も決勝で武田豊樹の番手を回ったが、この時は武田との連携から最終バックの自力捲りに戦術を切り替え連覇を達成した。KEIRINグランプリ2010では前年と同じく9着に終わる。

2011年、2012年は目立った活躍が出来ず当年のKEIRINグランプリの出場を逃がすも、2013年の全日本選抜競輪決勝では再び武田豊樹の番手を選択し、最終バックで武田を先行選手の後位に導いたあと最終4角でインを突き、武田を弾いてから直線一気に伸びて3年ぶりのGI優勝を果たす。同年のKEIRINグランプリ2013では4着となる。

2014年は、前年12月に起こったSS11の移籍騒動に加担したとして、日本競輪選手会より同年5月1日より8ヶ月間の競走出場自粛を言い渡されたが、後に自粛期間が3ヶ月に短縮され、8月より競走に復帰した。その後11月の競輪祭決勝では、逃げる武田豊樹の番手より最終4角から追い込んで優勝し、KEIRINグランプリ2014の出場権を獲得し7着となる。

2015年はGIタイトルの獲得はならなかったが、日本選手権競輪と競輪祭の決勝で2着に入るなどGI決勝進出を4回果たして年間獲得賞金上位となり、KEIRINグランプリ2015の出場権を獲得し3着となる。

2016年は寛仁親王牌決勝の2着により年間獲得賞金争いで有利(獲得賞金ランク7位)となっていたが、競輪祭の決勝において最終バック4番手の位置より前にいた稲垣裕之の捲りに追走する形から自力で捲り切って優勝したことによりKEIRINグランプリ2016の出場権を獲得したが6着となる。

2017年は全日本選抜競輪の決勝においてイン粘りから番手を確保した直後に単騎で捲ってきた新田祐大の番手に入り込み、そのまま追走し自身の番手にいた地元の武田豊樹を振り切る形で直線抜け出し優勝したことによりKEIRINグランプリ2017の出場権を獲得したが、前年と同じく6着となる。

2018年は第34回共同通信社杯競輪(GII、高知競輪場)で優勝した。既に賞金3位でKEIRINグランプリ2018出場を確実としていた中で臨んだ11月の第60回朝日新聞社杯競輪祭では、6年連続となる決勝進出も果たした(6着)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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